1971年5月に視能訓練士法が制定公布され,同年実施された第1回 国家試験において121名の視能訓練士が誕生しました.日本視能訓練士協会(以下、協会)は,その前身である視能訓練士部会を法制化により発展的解消し,翌年の1972年に初代会長として川村緑会長を選出し120名の会員を中心に誕生いたしました.設立当時,職能団体を一から作り,そして発展していくために,大変なご苦労があったことと推察いたします.発足に携わった役員の方々と会員の「強い信念と情熱」で日本の視能訓練士および協会を形作り,そして全国の会員ひとりひとりのこれまでの日々のたゆまぬ努力により今日を迎えられたことに深く感謝いたします.
どの時代においても,私たち視能訓練士は,誕生からこれまで社会背景や医療の発展に合わせて,果たすべき責務を常に意識し歩み続けてきました.
この記念サイトはこれまでの50年間の歴史をまとめ,振り返ることで,いま一度,視能訓練士の存在意義を考え,新たな一歩を踏み出し未来に向かって発展していくための機会となることを目的とし企画いたしました.
本協会は,「視能,みる能力(Visual ability)」の専門職として誕生した視能訓練士の唯一の職能団体であり,視能訓練士の学術技能の研鑽ならびに人格資質の陶冶に努め,国民医療の普及・向上を図り,眼の健康の維持発展に寄与することを目的としています.
これからも「視能,視る能力」を管理する専門職唯一の職能団体として,目指すべき方向を見定め体制を強化し,会員ひとりひとりの資質の向上をはかり,国家資格である視能訓練士の発展のため尽くして参ります.
本会を立ち上げ,愛情を持って本会を育ててきた諸先輩方,いつも本会を支えてくださっている全国の会員の方々,温かいご指導,ご鞭撻をくださる先生方,関係諸団体の方々に心より感謝を申し上げます.
視能訓練士と協会の理解を
深めていただくため,動画を制作しました.
記念動画はこちら↓
体系的な成書として,視能学エキスパートシリーズを出版した.
第62回日本視能矯正学会と併催.(東京都: 東京国際フォーラムで開催した)
記念誌、記念動画、記念サイトを制作した.
世界で初めての視能訓練士であるMs.メアリーマドックスはロンドンに世界最初の視能訓練士の養成校を創設.そこで養成された視能訓練士が各国で養成校を創設し,世界に広まっていった.
2台のsynoptophoreがDr.J.R.Andersonより寄贈され,日本における現代視能矯正学がはじまる.
国内最初の視能訓練士として川村緑氏(東京)と内田(渡辺)冴子氏(岡山)が視能矯正業務を開始した.
視能訓練士による初の公式会合であった.(愛知県名古屋市:武田薬品で開催)
法制化に向けた講習会が大阪で開催された.
視能訓練士による大規模学術集会が開催された.(愛知県岡崎市:明治生命ホールで開催)
85名が合格した.
日本弱視斜視研究会ORT部会が発会された.併せて第1回研究会(現在の日本視能矯正学会)が開催された.
日本初の視能訓練士養成校が誕生した.
5月14日に視能訓練士法案が国会を通過し,視能訓練士法が成立した.
10月24日 第1回視能訓練士国家試験実施.(121名が合格)
5月18日 日本視能訓練士協会発会式が行われた.(岡山県岡山市:岡山大学医学部図書館講堂で開催)
視能訓練士の国際組織であるIOAに加盟した.
第19回研究会と併催.(東京都:ホテルニュージャパン,興和ホールで開催)
「研究会」を「学会」へ改称し、順天堂大学にて開催した.
任意団体から社団法人へ移行した.
法改正により,業務に「眼科に係る検査」が明文化された.
アジアにおける初の開催であった.(京都府京都市:国立京都国際会館で開催) 21か国からの演題応募があった.
第42回日本視能矯正学会と併催.(神奈川県横浜市:みなとみらいで開催)
卒後教育の大きな柱として視能訓練士生涯教育制度が設置され,新人教育プログラムがスタートした.
小児の弱視,斜視及び先天性白内障術後の治療用眼鏡やコンタクトレンズの作成費用が,健康保険の適用となり,療養費として給付されるようになった.
一般法人から公益社団法人に移行した.公益性の高い事業を行うことで,団体としての社会的信頼性を高め,発展を続けることを目指す.
生涯教育制度で学び,継続して知識と技術の習得に励んでいる会員に対して認定視能訓練士の称号を授与することとした.
協会とメーカーの共同開発による小児眼鏡フレーム「アイハピー」が誕生した.
協会監修,日本製の近見立体視検査であるJACO Stereo Testが製品化された.
体系的な成書として,視能学エキスパートシリーズを出版した.
第62回日本視能矯正学会と併催.(東京都: 東京国際フォーラムで開催した)
記念誌、記念動画、記念サイトを制作した.
世界で初めての視能訓練士であるMs.メアリーマドックスはロンドンに世界最初の視能訓練士の養成校を創設.そこで養成された視能訓練士が各国で養成校を創設し,世界に広まっていった.
2台のsynoptophoreがDr.J.R.Andersonより寄贈され,日本における現代視能矯正学がはじまる.
国内最初の視能訓練士として川村緑氏(東京)と内田(渡辺)冴子氏(岡山)が視能矯正業務を開始した.
視能訓練士による初の公式会合であった.(愛知県名古屋市:武田薬品で開催)
法制化に向けた講習会が大阪で開催された.
視能訓練士による大規模学術集会が開催された.(愛知県岡崎市:明治生命ホールで開催)
85名が合格した.
日本弱視斜視研究会ORT部会が発会された.併せて第1回研究会(現在の日本視能矯正学会)が開催された.
日本初の視能訓練士養成校が誕生した.
5月14日に視能訓練士法案が国会を通過し,視能訓練士法が成立した.
10月24日 第1回視能訓練士国家試験実施.(121名が合格)
5月18日 日本視能訓練士協会発会式が行われた.(岡山県岡山市:岡山大学医学部図書館講堂で開催)
視能訓練士の国際組織であるIOAに加盟した.
第19回研究会と併催.(東京都:ホテルニュージャパン,興和ホールで開催)
「研究会」を「学会」へ改称し、順天堂大学にて開催した.
任意団体から社団法人へ移行した.
法改正により,業務に「眼科に係る検査」が明文化された.
アジアにおける初の開催であった.(京都府京都市:国立京都国際会館で開催) 21か国からの演題応募があった.
第42回日本視能矯正学会と併催.(神奈川県横浜市:みなとみらいで開催)
卒後教育の大きな柱として視能訓練士生涯教育制度が設置され,新人教育プログラムがスタートした.
小児の弱視,斜視及び先天性白内障術後の治療用眼鏡やコンタクトレンズの作成費用が,健康保険の適用となり,療養費として給付されるようになった.
一般法人から公益社団法人に移行した.公益性の高い事業を行うことで,団体としての社会的信頼性を高め,発展を続けることを目指す.
生涯教育制度で学び,継続して知識と技術の習得に励んでいる会員に対して認定視能訓練士の称号を授与することとした.
協会とメーカーの共同開発による小児眼鏡フレーム「アイハピー」が誕生した.
協会監修,日本製の近見立体視検査であるJACO Stereo Testが製品化された.
体系的な成書として,視能学エキスパートシリーズを出版した.
第62回日本視能矯正学会と併催.(東京都: 東京国際フォーラムで開催した)
記念誌、記念動画、記念サイトを制作した.
※かつて視能訓練士の略称として使用されていた「ORT」は、歴史的事実の記録としてそのまま表記しました。
正式な略称は「CO(Certified orthoptist)」です。
公益事業をはじめ、さまざまな事業を展開しています.
目の健康チェックシート(乳幼児版,成人版),視能訓練士紹介リーフレット,「3歳児健康診査における視覚検査マニュアル」の発行,「3歳児健康診査で行う家庭での視力検査」動画の公開,「3歳児健康診査従事者向け研修会」を企画するなど,眼保健衛生の普及、向上に努めています.
日本視能矯正学会,研修会,講演会,施設見学等を主催し,視能矯正の普及・調査研究を推進しています.
年1回,学術雑誌「日本視能訓練士協会誌」を発行しています.
生涯教育制度を設け、視能訓練士の資質の向上に努めています.
全国各地の眼科医会主催で行われたビジョンバンを活用した眼科検診に協力しました.(2019年)
文科省主催による児童生徒近視実態調査に協力しました.(2021年:全国29校9000名を対象)